複雑系の教育への応用

複雑系とは

それぞれの要素は簡単な構造でその反応も単純なのだが、要素数が多いときには、それらが相互作用した結果、個々の要素からは想像もできないような性質や振る舞いが創発する系を指す。つまり、「全体は要素の総和よりも大きく」なることがある系を指す。還元主義的なアプローチでは理解できない現象を解明しようとする新たな科学分野である。

教育と訓練に応用可能な複雑系の概念

・どのようなシステムも、外的環境も、常に同じであるということは無い。
・システム中の個人個人は独立した存在で、創造的決断を行う存在である。
・どのようなシステムにも不確実性パラドックスは本来存在するものである。
・解決することができない問題もとりあえず前倒しで対処する必要がある。
・詳細仕様が最限のところから効果的な解決が現れうる。
小さな変更が大きな効果をもたらしうる。
・行動には何らかのパターンが現れる(アトラクタattractorと呼ばれる)
アトラクタのパターンを利用すると、変化を取り入れるのは、より容易になる。

CapabilityとCompetenceとPerformance

Competence: 知識技術(技能)、態度の面から、個人が、何を知っていて、何ができるかということ。

Capability: 個人が、変化に適応し、新しい知識を作り出し、そのパフォーマンスの改善を持続できる程度。

Performance: CompetenceあるいはCapabilityに基づいて実行され、外に現れるもの。

たとえば、臨床能力 Clinical competenceを向上させることが、医学教育の主要な目的であるが、実際に診療で遭遇する患者は、教科書には書いていない個別の問題が複雑に絡み合っているケースが多い。学習したことを、そのまま当てはめることができない場合に、発揮される能力がCapabilityである。したがって、今後の医学教育は、ある一定の水準の知識、技術、態度を獲得させるだけでなく、それらを応用し、必要な知識を探し出し、変化に対応できる能力、すなわち、Capabilityを獲得させることを目標にすべきであろう。

Competenceは学んだことができる能力、Capabilityは学んだことがないこともできる能力、Performanceは実際にに現れる能力ともいえる。

複雑な適応システムにおけるCompetenceとCapability

全く不慣れな環境において、全く不慣れな業務を行うことは、困難である。一方で、習熟した環境において、習熟した業務を行うのは、容易である。前者においては、Capabilityのきわめて高い者は業務を成し遂げることが可能である。後者においては、Competenceが十分あるということができる。環境と業務が、全く不慣れな場合と、習熟している場合との中間の領域で、複雑系と言える領域が存在する。この領域では、多くの者が、自分の持っている知識、技術、態度を組み合わせて、新しい問題をなんとか解決することができるかもしれない。その能力が、Capabilityである。



Capabilityの獲得を目指す教育法

Capabilityを獲得するためには、学習の過程において、予期せぬことが起きて、今まで獲得した知識を再構成したり、自分の知らないことを明らかにした上でそれを調べたりする必要が出てくる学習法が必要になる。単なる知識の獲得を目的とするのではなく、知識の応用、新しい情報の探索、問題解決のために何が必要かを明らかにする能力などの獲得を目的としなければならない。

以下の学習法は、Capability獲得のために有用と考えられる。


プロセス志向型学習法:非定型的であらかじめ計画されない学習

・実験的学習 ‐ シャド一ウィング、徒弟制度、交代制のアタッチメント
ネットワークの機会 - カンファレンスやワ一クショップ中のオープンなポスターセッションを通じて、あるいはコーヒーブレイクやランチなど
・学習活動 - 復習・反省の実行(振り返ることreflection)、グループ討論の指示のような構造化された学習コースにおける材料
・講義中のグループでの雑談意見交換 - 講義を再開する前に、講師が参加者にとなりの者とちょっとした課題を行わせる
・専門的テーマのためのメーリングリスト
・教える体験の機会 - 新しく技術を獲得した者が他の者を教えて理解を共有する
・フィードバック - 学習者に彼らの行動の実際的あるいは将来予想されるアウト力ムについて情報を与えるような応答

自律学習

・助言(メンタリング mentoring) - 指名された者(mentor助言者)が自律学習者に支援指導を与える
・ピア(同僚)支援学習グループ - 相互の支援と問題解決に小グループによる学習を用いる
・個人学習日誌-新しい学習二一ズが起きた際にそれらをとらえ対応するための構造化されたフォ一ム
・吟味 - 過去の進捗と将来の目標を定期的に、構造化してレビューする
・重要な段階で学習者からの要請を明確な形で取り込む柔軟な学習コース計画 - 例えば新しい学習目標を追加するためのポストイットノ一ト演習やドラフトプログラムの変更など
・種類や選択肢の多いモジュール構成の学習コース

非線型学習

症例に基づく議論 - グランドラウンド、症例検討会、有意義事象の監査(オーディット)
・シミュレーション - 複雑な状況をモデル化し不慣れな文脈で不慣れな業務を練習する
・ロールプレイ
・小人数発問型学習(small group problem-based learning, PBL)
・チーム形成演習 - 個人のパフォーマンスよりもグループ緊急パフォーマンスに重点を置いた活動

教育と訓練の未来

コンテンツエキスパートよりも以下のタイプの教育者がより重要になる:
Tutor (個人教授)
Mentor (助言者)
Facilitator (世話役)

教育に対する新しい考え方
知識的で、開かれていて、多面的で、公共のものである。
学習は構成主義者モデル(概念は社会的対話を通じて獲得され、作成され、改変され、適切な枠組みに取り込まれ、行動によりテストされる)が用いられる)。
大学はその最大の資源がそのスタッフと彼らが内部および外部と保っているネットワークである、適応する、的で進化する組織体である。
教師脇にいる案内役である。
学生集団は雑多で変わりやすい(広い年齢層、社会教育背景、能力、目的、期待)
学生の期待は、生涯学習が意味するように、教育は仕事、家族、個人的発展によって焦点が変わり、影響を受ける。
試験は(単なる知識を問うのではなく)、分析統合問題解決に基づいて行われる。

教育と訓練の未来
時間割学習者中心のモデルにより、学生はさまざまなコース、学部、ある場合はさまざまな大学からの選択肢を混ぜ、比較して作られる。
カリキュラム作成アウトカムモデルにより行われる(学生はXを学ぶ、なぜなら雇用者が能力としてそれを要求するから)。
時間と空間利用ネットワークによる支援を受け、非同期性で個人個人に合わせて行われる。
品質保証はスタッフによって所有され、運営される、個人的で、プロフェッショナルな、組織としての、学習の進行中の過程である。
評価学習者中心のものである(学習者のニーズは何であって、それらが満たされたかどうか?)。
研究と教育の関係統合されたモデルであり、すべての分野における主要な研究課題は知識の本質であり、それがいかに効果的、効率的に獲得され利用されるかが重要である。
大学の運営はますます広範で分散された資金に依存する − 個人個人の学生への支援、冠企業コースへの企業からの支援、地域のビジネスとサービスとのパートナーシップなど。


文献

Fraser SW, Greenhalgh T: Coping with complexity: educating for capability. BMJ 2001;323:799-803. ID:11588088